聖ヨハネ大学の近代建築・記念坊

牌坊に刻まれた大学の歩み:聖ヨハネ大学記念坊の文化的意義

華東政法大学長寧キャンパスを歩き、聖ヨハネ大学の歴史をたどるうえで、記念坊は欠かせない存在です。この坊は1929年、聖ヨハネ大学創立50周年を祝うため、曹家渡の名士や住民が資金を集めて建てたものです。中国と西洋の対聯文化、そして大学のビジュアル・アイデンティティ体系が融合しており、近代上海の都市商民と学府の交流を物語る、独自の証しとなっています。
記念坊は石造で、中国伝統様式を採っています。内部には4本の石柱があり、方形の石柱の上に横額を連ね、中国式の屋根を載せています。4本の石柱の前後にはそれぞれ2組の対聯が刻まれ、横額もあります。記念坊正面の外側の対聯には「環境平分三面水,樹人已半百年功」と記されています。「環境平分三面水」は、聖ヨハネのキャンパスの地理的特徴を的確に表したものです。キャンパスは蘇州河のU字形の湾曲に抱かれた半島状の岬に位置し、三方を水に囲まれています。「樹人已半百年功」は、『管子・権修』の「十年樹木,百年樹人」という故事を踏まえ、50年にわたる教育事業を、教育が「世代を超えて積み重なる」時間の尺度の中に位置づけています。
中央の対聯には「淞水鐘霊英才楽育,尼山知命声教覃敷」とあります。この対聯は6組の対聯の中で最も思想的密度が高く、地理(呉淞江)と儒教(尼山は孔子の生誕地で、儒家の伝統を指す)を並置することで、聖ヨハネの教育実践が「西学を用とし、中学を体とする」流れの延長にあることを示しています。
「淞水」とは呉淞江(蘇州河)のことで、ここでも水のイメージによって地理を示しています。「鐘霊」は「鐘霊毓秀」に由来し、霊気が集まる地には必ず俊才が生まれるという意味です。「英才楽育」は『孟子・尽心上』の「天下の英才を得てこれを教育するは、三楽なり」に基づき、聖ヨハネの教育事業を孟子のいう君子の「三楽」と直接結びつけています。教育は社会的責任であるだけでなく、精神的な喜びの源でもあるということです。下聯の「尼山知命」にある「知命」は、『論語・為政』の「五十にして天命を知る」に由来し、二重の意味を持ちます。一つは聖ヨハネ創立50周年(「知命の年」)を指し、もう一つは学校が人を教え育てるという本来的な使命を指しています。「声教覃敷」は『尚書・禹貢』の「東は海に漸し、西は流沙に被り、朔南声教の四海に訖るに暨ぶ」に由来し、もとは帝王の徳による教化が四方に広く及ぶことを指しました。この故事を大学に用いることで、聖ヨハネが儒家の「天下を教化する」伝統を受け継いでいることを意味しています。


横額は2段あり、上段は「紀念坊」、下段は「緝熙光明」です。「緝熙光明」という言葉は、『周頌・敬之』の「学有緝熙于光明」に由来します。学問や徳行が日々の積み重ねを通じて、次第に光明の境地へ至ることを指します。
記念坊背面の外側の対聯には「明礼達用是為国華天挺之才資造就,新命旧邦広開学舎海通而浚此権与」と記され、中央の対聯は「合中西于一炉五十載締造経営蔚成学府,在東南為巨擘千万人濯磨淬礪用揚国光」です。横額も2段あり、上段は「聖約翰大学」、下段は「光与真理」で、聖ヨハネ大学の校訓の中国語版です。両側には「学而不思則罔,思而不学則殆」とあります。
「明礼達用」は、儒家の「明体達用」思想の変形と見ることができます。「明礼」は内面的な徳性の修養を、「達用」は社会で実践する能力を指します。中央の対聯にある「用揚国光」は全体を締めくくる言葉で、すべての努力は最終的に「国家の輝きを発揚する」ためのものだという意味です。
記念坊に刻まれた6組の対聯は、聖ヨハネ大学の精神的な綱領を石に刻み込んだものです。今日、私たちが坊の前に立ち、じっくりと読み味わうときに感じ取るのは、文化財建築がもたらす最も貴重な贈り物です。それは、歴史を単なる叙述にとどめず、今に受け継がれる文化的意味として伝えてくれることなのです。